
石取祭り風景
2009年7月31日の深夜、なにやら人の気配と物音を感じました。それはゆっくりと進み音はだんだんと近づいて、部屋の外が明るく染まっております。カーテンを開けて外を伺いますと、提灯の明かりに浮かびあがったのは、祭車と人の波。ああ、これが桑名の石取祭、今日は叩き出しの日かと気付きました。
ゆっくりと進むその行列はまるで絵灯篭のように揺らめいて見え、幻想的で美しい風景でした。
それが、(天下の奇祭、桑名の石取祭)との出会いとなりました。
桑名春日神社の石取祭は、江戸時代初期に始まったといわれ、桑名城下の町人や藩士が楽しみにしていた初夏の祭りです。祭車総数約40台、全国的に見ても単一の神社、一神事でこれほどの山車が一堂に会する祭りは非常に珍しく鉦や太鼓を打ち鳴らし、日本一やかましい祭りと言われております。
試楽日午前零時、一斉に叩き出しが行われるその瞬間の音はまさに轟音です。それはこの日のために一年を過ごしこの瞬間にすべてを爆発させるからです。桑名っ子はこの音を子守歌代わりに眠りにつくと言われております。
平成19年3月には(桑名石取祭の祭車行事)の名称で国の重要無形民俗文化財に指定されました。
城下町の格式と東海道42番目の宿場町の粋と華を併せ持つ桑名ならではの、豪壮で雅な祭りを見にぜひ一度桑名をおたずねくださいませ。

桑名市 安永餅柏屋

昨今全国の美味なもの、珍しいものを居ながらにして楽しめるお取り寄せがブームのようです。肉・野菜・魚・珍味・調味料等々そのアイテムは多岐に渡るようです。以前、ある和食の店のコンンセプト作りに関わり、お食事の最後にお出しするお甘を全国から取り寄せてお出ししたらと考えました。
地元で愛されており、東京進出していない店舗である事。老舗である事。その和菓子がロングセラーで有る事。この三点にこだわり全国の和菓子探しが始まりました。
1年余も銘菓探しを続け、ふと有る事に気付きました。銘菓、とりわけ前述のこだわりに適った和菓子のある処が三重県・岐阜県・京都に集中しているのです。京都に銘菓が多いのは納得の事実ですが、それは多少私が求めるものと違い華やかな・雅な・高級な和菓子達で、それに比べ三重・岐阜で見つけた和菓子の素朴さ・懐かしさ・その圧倒的な数の多さに驚かされました。
和食店の基本コンセプトであった二十四節気に関しても同時に資料を集めている中、日本の節気が農耕と深く関わり、人々の生活の基盤をなし、指針となる事にも気付かされました。そして其の事が伊勢へと繋がります。お伊勢さんは農業国日本の、心の故郷なのですね。生きて居る間、一度はお伊勢参りと願ったのがうなずけます。すべての街道は伊勢へと思われるほど多くの街道がつくられて行きました。そして伊勢へ向かう街道筋に銘菓が生まれました。
東海道桑名宿は伊勢への参宮道でもありました。その街道沿いには今も様々な名物餅が残っています。赤福・へんば餅・おきん餅・関の戸・御はら木・安永餅・二軒茶屋餅、まさに餅街道です。
そのほとんどが多店舗展開や、東京進出など考えもせず、面々とこの地で愛され続けていることに驚き、そして敬意を表さずにはいられません。
伊勢への出発点、桑名は今もたおやかに往時の空気の中におります。

多度大社境内図
桑名駅から養老鉄道線に乗り、大垣方面に向かうと15分ほどで多度駅につくことができます。往時を偲ぶ古い家並の街道を20分ほど行くと多度山に抱かれるように、1500年以上北伊勢地方の総氏神として信仰をあつめてきた多度大社の鳥居がみえてまいります。
5世紀後半、雄略天皇の御代に御社殿が建てられるまでは、多度山全体を神体として仰いでおりました。美しく整えられた参道は、お山に向かいゆるい勾配で鬱蒼と茂る大木の向こうに、清らかな水しぶきをあげる一筋の滝が流れ、その前に御本殿が鎮座しております。都でみる華やかな社殿とは趣を異にした質実なそのお姿は神がまさにそこにおわす、山こそが神そのものと感じさせ、心に染みわたる感動を与えてくださいます。
御祭神が天照大御神のお子様であることから伊勢神宮にたいして北伊勢大神宮ともよばれており、古くからお伊勢参らばお多度もかけよ。お多度かけねば片参りと謡われ、伊勢参宮の折りには、必ず多度大社にも参拝したといわれております。
竪絵東海道(安藤広重)より桑名七里の渡船